• momo sasanoi

「まだ、景色だった頃」に寄せて

更新日:2020年12月27日



まだ景色だった頃を思い出すことができるか

わたしはどこにもいなかったし

何のかたちも もたなかった

今わたしはどこにいて どんなかたちをしているのか 粒のようで 幽かな

そしてまた かえる場所に向かって 祈っているか

0-1 prologue

Our body transforms into...

これは大学院の修了制作のテーマである。

まだ、あの頃、私達の身体は、景色であった。

湖であったし、滝であったし、天体でもあった。

至る所に私達は存在していて、また同時に、何のかたちも持っていなかった。

今はどうか。今ここにいる私達はどんなかたちをしている?どこへ向かっている?

人のかたちをしているようで、その輪郭は不鮮明だ。

私達の身体は絶えず死に生まれ、入れ替わり、どこまでが私で、どこからが地面で、どこからがあなたなのか、その際はいつも揺れていて定まらない。

いつだって喪失が傍らにあり、失うことを怖いと感じる。

だからこそ私は私のかたちに触れたいし、あなたの存在を確かめたいと思ってしまう。

いつかここからある場所へ帰ってしまう無常な私達の、今ここに在ることも、向こう側も、知覚していたい、忘れたくない。


0-2 introduction 「人景」について

修了制作では、「人景 Our body transforms into…」というシリーズの作品を制作した。

「人景-waterfall」と「人景-lake」、「人景-gemini」の三点からなるシリーズである。(図参照)


人景とは私の造語であり、完全な個体としての人体、肉体のかたちが喪失し、変容することで、精神、意識の在るスケールの大きさや柔軟さ、流動性を表せるのではないか、という考えから、人体が景色へ変態する、という状態を示した。



1 「人景」からの展開としての「まだ、景色だった頃」

今回の個展「まだ、景色だった頃」では、「人景」での人体が景色に変態する、という考えを反転させ、かつて景色だった(人の姿ではなく、かたちのない、またはすべてに憑依していたともいえるような存在だった)のではないかと仮定した。

今また人のかたちに宿っている私達も、その輪郭は揺れていて、今もなお景色であるといってもいいのかもしれない。言い過ぎかもしれない。

現状、私達は自分の存在が人のかたちであると思っているだろう。

加えて、人のかたちは、山のかたちや湖や、海のかたちとは異なる構造、別のカテゴリーだと感じている場合も多いだろう。

自分が山に憑依していた、山であったという記憶がある人は少ないと思う。通称、前世として。

(自分がカーテンだった記憶があるという人には会ったことがある。)

私自身はそういった通称前世の記憶はないし、胎児の記憶もない。

このような、人間としてのかたち以前に○○だったのではないか、と考えるようになったのは、無意識というものへの関心をもったからである。

2 ユングの集合的無意識から、共通の記憶について考える

私の考える無意識は、ユングの提唱した「集合的無意識」から派生して考えているもので、集合的無意識は、個を超えた集団、民族、人類というような「みんな」に共通する先天的な無意識が存在し、(先天的という言葉も気になる。天とは?)それが個人の夢や空想に登場する典型的なイメージとして作用するというものである。

典型は環境からつくられるものでは?という気もしないでもないが、そこで私は、人として、命や魂や意識と言われるような存在として、共通の記憶があるのではないかと考えた。

例えば、胎児だった頃は誰しも人体の内側を見ている。(瞼が開くわけではないようだが、視神経は形成され、光に反応することができるようだ。)

覚えていなくても、胎内にいたということは周知されており、人類(哺乳類)ならば一度はある(二度はないか)共通の体験なのである。

この胎内にいたという共通の体験を、多くは忘れてしまっているであろう潜在的な記憶として扱い、2015年に「みえる き こえる」という作品を制作した。(図参照)



この作品は、私の腹部を石膏で型取りした雌型をベースに造形した作品である。

雌型というのはキャスティングを行う際につくられるガワ(側)であり、鑑賞者は作品(雌型)に触れることで、胎内の景色を再体験することができる。

その再体験により、私も含めみんなが潜在的な記憶を意識する。潜在意識、集合的無意識は氷山に例えられるが、一角である私達の根底へ潜っていくと、同じ海の中で、同じ氷から飛び出たものだとわかる。個々のようでいて、由来が同じなのである。(図参照)

「みえる き こえる」ではこのような潜在的な記憶を共有する鍵としての作品を目指したが、胎内をモチーフにしたことで、母性や女性性といった、主軸と異なる意味が出てしまい、「みんなに共通の」という点が薄れてしまったのではないかと、展示の際の反応を受け感じた。

ここから共通の由来や潜在的な記憶→無意識への関心は強くなり、生前/死後にいた場所をモチーフに作品を展開したり、分裂する私、about geminalなどをキーワードに融合したり分裂、分散する人物像を制作するようになる。



3 満ちている水

新作「満ちている水はかつてのわたし」では、「人景-lake」のひとりバージョンのようなフォルムで制作した。

2016年あたりから二人の人物像が重なるイメージ、ダブルイメージ、二重像、といった形状を作品に取り入れていたが、景色と人の重なり、融合という方向が見えてきたため、一人でも成り立つと考えられるようになってきた。

「満ちている水はかつてのわたし」は高さ30㎝程度の小さな作品であるが、身体に景色(湖)を湛えていることで、単に人体として小さいということを超越したスケール感を放つことができると考えている。

サイズという課題は今後も探求すべきである。

「満ちている水」とタイトルにもあるように、水は私の制作に今後大きく関わるモチーフになりそうだ。

修了制作で、滝や湖など水の要素を持つモチーフを扱って思ったことで、水の揺らぎ、流動性が、私の感じている人間の存在の様とリンクしてくるというのがある。

また海は地球の生命の源であるし、人体は60%が水分であり、その水分量と木の含水率に重なるものを感じ、木を彫っている節もあるので、こじ付けのようでもあるが、水は重要な要素ではあるようだ。



4 造形 着彩

造形についても言及すると、私は木彫作品のほとんどを着彩して仕上げている。仕上げというよりかは、彫りながら絵の具や塗料を染み込ませたり乗せたりしている。彫ることと着彩は別の行程ではなく、どちらもイメージをかたちにするために重要な行為であると思っている。

「満ちている水はかつてのわたし」は彫りの段階では湖の造形はそれほどはっきり見えず、着彩して初めて水だとわかるような具合である。それは単に私が造形/彫りが得意ではない、そして執着もあまりないからということもあるが…なぜ執着があまりないのかということも考えるが、開き直ってもまずいような気もする。

おそらく、私の関心ごとが、造形<イメージだからだろうか。感覚や思ったことをまず映像化する。私は彫刻作品よりも多くのドローイングを描いている。まず線で図に起こしてイメージを具現化する。その次に恐らく言葉が来る。キーワードになりそうな単語を羅列したり、詩を書いてみたりする。そこからこの実空間での構成を考える。大きさや水平垂直、重力、動きなど彫刻らしい要素にイメージを変換していく。ここまでの行程を経ても、素材を前にすると変換にかなり歪みが生じる。この歪みこそが身体を動かして制作を行う意義であるとは思っている。木を前にするとどうも思い通りにいかない。すでにそこにある実材の形状、大きさ、色、節やウロなどの特徴に引っ張られて振り回されてしまう。つくりたいイメージと素材の主張との押し問答をしていると、コントロール下にある造形をしようという気持ちがどうにも起きない。

そういった彫りをしつつ、着彩をするのは素材に対して抑圧的にも一見思われるが、やはり根底にあるイメージを表現するには着彩はかなり有効であると思う。

とはいってもドローイングの時点では色を使うことはほとんどない。線のみで表すことが専らだ。木彫の着彩には透明水彩絵の具や胡粉、ジェッソ、柿渋、岩絵の具、金箔などを使うが、それらは色であると同時に、かたち(物質)でもある。水彩や柿渋は木に浸透していき、胡粉やジェッソは膜を張り、岩絵の具は光を乱反射し、金箔は膜でもあり、強い光を放つ。それらの着彩の素材が造形に関わってくると色がついただけではない、質感が生まれ、造形にも影響を及ぼす。こうして初めてドローイングや言葉でつかんだイメージを具現化することができる。



5 造形 視点とレリーフ

着彩に続き、かたちのほうにも言及するが、木を彫っていて気付くことがある。私の制作では、面や軸などを意識した造形がなされることが多い。ぐるりと螺旋状に視線が誘導されるのではなく、絵画のように面がある。面を意識して、手前から奥にレイヤーを重ねるような(ペイントツールのレイヤーは奥から手前に増やすのだと思うが)彫っている感覚がある。立体物だが、ぐるっと360°の意識は弱い。

これはデッサンの感覚に近いと思う。彫刻のためのデッサンではしばしば空間意識、立体感、量感を重視するが、彫刻的意識はあれど、視線は一方向で、あくまである面から(正面から/側面から)の立体を捉える行為である。見えない裏側を捉えようとするし、奥へ押し込めたり、手前へ引き出したり、空間の操作を紙の中で行う。

今回の展示で「ランドスケープエスケープ」という作品を展示しているが、この作品はレリーフのパーツ(板状の彫刻?)2点と小さな人物の胸像で構成されている作品で、パーツもレリーフ的な造形であり、さらに配置を含めた作品全体がレリーフ的、画面的な構造となっている。

パーツはそれぞれ四角形を基調とし、窓/絵画のような形態をなしている。またそれらのパーツが配置されることによって、画像のレイヤーのように、空間の中に段階的な奥行きができる。

このような、一方向から奥行きを作っていく造形になったのは、以外と自然なことかもしれないと気付く。

木彫の制作では、円柱状の丸太を立てて、面をとり、四角柱に整えてから四面にデッサンをし、彫り進めていくという工程がある。必ずしもこの方法がとられるわけではないが、基礎的な方法であるといえる。非常に図面的な仕事で、木から彫り出される形の表層に向かって奥行きを作っていく。これはもうレリーフなのではないか…。そんな気がした。

こういった経緯を踏まえると、レリーフの手法も自然と、盛り上がる造形ではなく、平らな面から彫りこんだ、比較的ハイレリーフなものになる。

奥行きを彫るというのは視点もかなり限定され、場面的、物語的に見える効果もあるだろう。表現したい内容と手法が少し噛み合いはじめている感覚がある。



6 epilogue これからの―

今回の「まだ、景色だったころ」では、半年前に制作した修了制作「人景」の内容を再び検討し、身体が風景にトランスフォームする、という思考から、私たちはそもそも景色だったよね、という思考に展開した。過去の作品を構成し直すことで、また異なる思考ができることは非常に興味深く思う。

私の制作は人の存在に対して、仮説(イメージ)と検証(造形)の繰り返しである。

人ってどんな存在なんだろう、私は本当にここに存在しているのか、人はどこからきてどこに帰っていくのか、そういった疑問に対する自答として、今回は、人はかつて景色だったという仮説を立てて、展示という形で検証を行う。会期中に見えてくるものがあるかもしれないと期待を抱いて。




2020.7.5 momo sasanoi

このテキストは個展「まだ、景色だった頃」の会場に置かれていたものに画像を追加したものです。

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